心理カウンセラー 心野花 ブログ 

家族を愛して50年。からまった家族愛をスルリとほどくカウンセラー

大切な人との別れの時を悔やまないために1番意識してほしいこと

がんばり屋のみなさまーおつかれさまです。

ワーキングマザー歴19年HSPカウンセラーの心野花です。

 

 

今日のお話は、人との別れ時に私は意識して欲しいと思っていることを書くね。

自立系武闘派な私が過去に後悔した出来事を書く。

それは私の父との別れについて。

 

 

死に別れのお話になるから、つらくなりそうな方はここから先は読まないでね。

 

ファザコンな私

私の家族構成はね、こうでした。

 

父:大きな会社のサラリーマン

母:専業主婦

妹:二つ年下、私と同じ誕生日の才色ちゃん

弟:六つ年下の文武両道くん

 

 

長女として生まれた私は、小さい頃からよく泣く、よく吐く敏感な子でした。

父は仕事に忙しく、なかなか会えない存在。

単身赴任も多かった。

 

 

そんな家庭だったので、私は小さい頃から長女として家族を支える人として生きてきました。

敏感さがあるのに、それを隠しながら必死に生活していました。

学校でも家でも。

見事に自立系武闘派に育ったのです。

 

 

そんな私が甘えられるのは、父だけでした。

下の子たちは母にべったりでしたので、私は父に甘えるしかありませんでした。

 

 

でも、めったに会えない父です。

甘えたい気持ちを押し殺して、「お母さんをたすけてるよ♪」とアピールして父を安心させたいという気持ちも合わせて持っていました。

 

ファザコン心さえも抑え込んで生きていたのですよね。

 

 

 

父との別れ

私と父の別れは父が大腸がんで天国へ行ったからです。

(この別れの原因も私は私の言動のせいが理由の一つだと思っているのですが、今日は割愛)

 

 

大きな会社の営業部長まで登りつめた父は仕事が忙しく、病気と仕事を両立して生きていました。

そして動けなくなりました。

 

 

闘病中も仕事をすると言ってきかない父を私は止めることができませんでした。

 

 

ある早朝。

母から電話が来ました。

「お父さんが・・・早く来て」

 

 

私は急いで病院へ。

その時はまだ父は呼吸をしていました。

だけど、私のほかにもたくさんの親族が呼ばれて病院のベッドの周りはものすごい人だかり。

 

 

妹は確か泊りがけの仕事で不在。

弟は確かまだ大学生で東京にいました。

(私は新潟在中ね)

 

 

私はベッドのまわりに群がる父とは血のつながっていない親戚を押しのけて父のそばへ近づきたかった。

でもできなかった。

 

 

私は私の気持ちよりも、その周りの親戚たちの気持ちを優先させていた。

そして、妹や弟の気持ちも考えていた。

 

「私だけが父のそばに、ベッドのわきに居てもいいのだろうか?妹弟と同様に、私も遠くから父を見送らなければならないのではないか」と。

 

 

 

そして、自分の気持ちを自分でコントロールできないまま、妹と弟に電話しなければと公衆電話へ急いだ。

 

 

そして、急いで病室に戻ったとき、ベッドの周りにいた沢山の親戚たちが泣きわめいていた。

父、享年52歳。

私はその時28歳。

 

 

その時の母がどうだったか、私は覚えていない。

 

 

ただ、泣き叫ぶ親戚たちの声が今でも耳に残ってる。

 

 

 

そのあと

父が息を引き取って、しばらくしてからようやく私は誰かから声をかけられた。

「ほら、花ちゃん!なにしてるの、お父さんの近くにきてあげて」

 

 

私は思った、「あなたたちが、父の周りにむらがってるからでしょ!」

「あなたたちが、私を父のベッドから遠ざけたからでしょ!」

 

私は涙も出ず、悔しいやら、悲しいやら、よくわからない感情だった。

そしてベッドに横たわる父の上のほう、天井の方を見て心の中でつぶやいた。

 

「お父さん、見えてる?まだそこにいる?ごめんね、私・・・ごめん。」

 

 

 

そして、父の手を握って。

すぐに病室を出た。

 

病院の公衆電話に舞い戻り。

父の会社の取締役へ電話を掛けた。

取締役:「どうした?花ちゃん。」

私:「父がいま亡くなりました」

取締役:「え?わかった、こちらも手配を進めるから花ちゃんはそちらで頑張って」

私:「はい。」

 

 

そして、妹と弟へ連絡。

自分の会社へもしばらく休むことを連絡。

出張中の私の夫へも連絡。

 

 

病室へ戻って、医師と今後のことを相談した。

 

 

父が冷たい体のまま家に一時帰宅した後も私は止まることなく動いた。

葬儀の手配。

父の会社の方との打ち合わせ。

家にやってくる方へのお茶出しや対応。

 

 

通夜や告別式には何百人という方にいらしていただいたので、挨拶まわりや、足りない食事の手配やらなんやらかんやら。

 

 

あれから20年

その後、私は息子を妊娠出産。

次男を死産させたのち、長女を出産。

育休をとることもなく、働き続けた。

 

 

長女の学校行き渋りがはじまったり、夫との関係がうまく行かなくなったり。

毎日自分の心を感じないまま、とにかく走り続けてきた。

 

 

そうして、今頃思う。

父が私のもとから離れようとしたとき私は本当はこうしたかったんだ。

 

 

父のベッドの周りの人たちを押しのけて、私が一番に父のそばにいて・・・。

私は父が息を引き取った瞬間、大泣きしたかったんだ。

 

 

私が一番父を大切に思ってたって、みんなに言いたかったんだ。

それが間違いだとしても、私はわがままにそうみんなに言いたかったんだ。

私は寂しいのに、父までいなくなったらどうしたらいいだよ!って。

 

あなたたちにはほかに頼る人がいるでしょう?

私は父しかいなかったんだよ!

って。

 

 

言いたかった。

言わずに、20年も経ってしまった。

 

 

いや、周りの人に言わなくてもべつに良かったのかもしれない。

私は、私の心の中でそれを認めればよかったんだ、たぶん。

 

 

私は寂しかった。

小さなころの私には父しか頼れる人がいなかった。

私は頑張ってた。

私は頑張ってた。

よしよし。

 

だからあなたにも言いたいの

もしね、大切な人との別れが近い人がいたら私の意見も聞いてほしい。

あのね、もし今別れが近いなら。

あなたの気持ちをすべて出し切ってほしい。

 

 

わがままかな?とか、申し訳ないなとか、そんなのは脇において。

あなたの気持ちを伝えたい人に伝えてほしい。

自分をごまかさずにいてほしい。

 

 

チャンスはもうそんなにないから。

ね、おねがいします。

 

 

ごめん、重かった。

今日は重い話になってしまった。

いつもは少しだけでもポジティブになれるようにって、そういう記事を心がけていたつもりっす。

 

でも今日は重いまましめくくり。

 

 

雨が降ってるからかな?

なんでだろう。

私の心がこれを書かないといけないな、って思って。

 

 

 

 

 

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なにはともあれ。

今日もよくがんばりましたね。

ほめほめ、よしよし。

それでは、またね。

 

心野花でした。

 

 

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