心理カウンセラー 心野花 ブログ 

HSP&HSC家族は深い青色だーー!

融解の始まり。必要なものは・・・

プロカウンセラーを目指して64日目。
心配性新米カンセラーの 花です。
 
みなさん
今日の調子はいかがですか~?
 
 
私はですね~~
今日もまた どんより
泥沼にはまっておりますよ~~。
 
安定の泥沼。
 
でもきっとこの泥沼は
泥パック並の 効果が得られんです!
この沼から 抜け出た時っ!!
 
私は、童話みにくいアヒルの子並に
真っ白な ハクチョウとなって
飛び立つのですよーーーー!
 
 
待ってて~~
私!
もう少し頑張るんだ!!
私!!
 
 
 
と言いますのもね、
ここ2週間くらいで
色々と心の変化が出始めてきたのです。
 
ようやく。
 
 
 
南極の青く輝く氷山が 地球温暖化により
ゆっくりと 溶けて行く・・とんな感じです。
 
はっ!!
地球温暖化で融解だなんて
縁起が悪いか??!!
 
 
ま、とにかく
カチンコチン46年間
冷やし続けて来た
私の心の中の 青い氷山が
溶けはじめて来たのです。
 
 
 
こんな事がありました。
 
私は 簡単に言うと、
ずっと母軸で 小さい頃から
妹、弟、単身赴任の父親
の環境下で、
母の為に頑張って生きて来ました。
 
 
母との思い出で よく思い出されるのは、
妹を寝かしつけるとき、
添え乳している母の背中が
私の方を向いていて、
私が母に話しかけると
「静かにして」と叱られた事。
 
 
テストは80点以上でなければ
認めないと言われ続けた事。
 
「あなたは自慢の娘なんだから!」と
言われ続けた事。
 
 
何かに失敗して泣いていると
「それぐらいで泣かない!」と
いつも発破かけられた事。
 
お金が無い事をいつも相談された事。
 
 
こうして私は強くなって、
妹や弟の学費も払い、
父の代わりに母の相手もし、
自分の為に 何かをするという
思考が無くなっていました。
 
いつも母の為に、
家族の為に!!
 
それが嫌だと感じる事もなく、
それが私の家族への愛だと信じていました。
 
けれど、、、
やっぱり 寂しかった。
母にはただただ
優しく
失敗しても「それでいいよ」と
言ってハグして貰いたかった。。
 
 
 
そんな事に気付き始めた
お弟子制度生活中のある日の事。
 
私の娘の登校拒否の悩みを
母に打ち明けました。
 
 
私の母は基本的に
私の娘にも厳しく、
「登校拒否なんて許さない」というスタイルです。
 
 
ですが、
その日は 違ったのです。
 
 
母が 私に言いました。
 
「あなたも いつだったか
 登校拒否していたでしょう?
 あの時、私は(母)は
 実は 担任の先生に相談した事があったの」
 
 
 
驚きました。
母が私の為に
苦手な事をしてくれていた。
 
苦手な事=
  弱い家族を他人に知られる事。
 
 
そう、私たちはいつも
母の為に
完璧な子どもでなければならなかったのですから。
 
 
 
 
私は あまりの衝撃に、
しばらく動けなくなりました。
 
 
そしてその感情を味わいました。
私も母親から
ちゃんと 心配してもらってたんだ。。
 
 
できるのが当たり前、
できて当たり前、
失敗したら 母に悲しまれる
だから いろんなことを押し殺して
我慢して
自分をだまして生きてきました。
 
 
母は 応援することや励ましは
沢山してくれるけど、
ダメな私を受け入れてくれることはないと
思っていたのです。
 
だけど、違ったのかもしれない。
 
私の思い込みだったのかもしれない。
 
そうやって思い込まないと、
頑張れなかったのかもしれない。
小さかった私は
一つしか 考え方を知らなかったのかもしれない。
 
 
そう 感じたら
ブワ~っと涙が止まらなくなりました。
 
 
 
融解の始まり。
 
 
 
ただね。やっぱり46年間培ってきた
この思考回路は
そうそう簡単には 崩せないので
すぐに 元の考え方に戻っちゃうんです。
 
こわいこわい(笑)
 
 
少しずつでいいから、
思考回路を別の回路につなげていきたい。
今はそう思っています。
 
もっともっと
沢山 感じて
青く凍った氷山の中に眠っている
本来の私のハートを
取り出してあげたい。
 
 
 
氷を解かすために必要なのは。。。。
 
きっと
暖かく流す涙だな!!
 
 
沢山泣くんだ!私!!
泣いていいんだ!私!!
 
それでは、また。
 
 
おまけ
娘が書いてくれた
私のカウンセラーネーム↓

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