心理カウンセラー 心野花 ブログ 

HSP&HSC家族は深い青色だーー!

~宿題④~ 家族を振り返る<母親編>

新米カウンセラー

もとい

プロカウンセラーを目指して11日目

花です。

 

こんにちは。

 

 

今日は実は、

カウンセリングを受けました。

その話はまた 後日にして

今日は

 

さっさと

宿題を終わらせないとーーーーっ!!

焦 焦 焦っ(汗)

 

 

 

今日は 私の母親編です。

 

 

母は専業主婦

父とは職場結婚でした。

 

母曰く

実家がいやだったので

早く「誰でもいいから結婚したかった」との事です。

 

 

夫婦仲は悪くは無かったのですが、

前回も書いた通り、

子供が三人で

ワンオペ

夫を立てることに

力を注いでいたので、

いつも 私には 

母がキリキリしていたように思います。

 

私は母にもかわいがられてはいましたが、

同時に

過大な期待をかけられていました。

 

母の同志としての存在とも

思われていたのか?

愚痴やら

お金の話やらたくさん聞かされました。

 

頼りにされいると

子供ながらに感じていました。

 

妹や弟に対する態度と

私に対する態度には

かなりの差がありました。

 

平気で

私に 父や妹や弟の悩みを

話す母に

嬉しさと切なさと ごちゃまぜでした。

 

父が単身赴任でしたので、

妹と弟のことは

私にまかされていました。

 

特に弟とは6歳離れていましたので、

宿題を見たり、

通知表の保護者欄を書いたり(笑

 

 

妹と弟が学生の頃は

学費を建て替えたりもしました。

国民年金の支払い一時してましたし(笑

 

すごいよね?

 

 

我が家はなぜか?

わりと 勉強ができる兄弟でした。

私も 母や先生の為に

いつも高得点をたたき出し、

 

私の為ではなく、

誰かのために勉強することに嫌気がさしていました。

 

妹も弟も優秀で、さらに

やりたいことも見えていたので、

私は 妹や弟の為にも

私はお金をかけて

大学へ行くべきではないと 心に決め、

短大を選び

実家の近くの会社に就職しました。

 

つねに

母の為に、

学校の先生の為に、

妹の為に、弟の為に

そればかりを考えていた学生時代でした。

 

 

母が 弟妹を自慢できるように、

妹弟をさせる姉の私が自慢になるように、

そればかりを意識していました。

 

 

母には

学校でいじめられいても言えませんでしたし、

悩んでいるときも何も伝えられませんでした。

そのくせ、妹がいじめられているときは

私から相手のところに直談判に行くようなことはしてました。

 

 

母がつねに

上機嫌でいることが、

我が家の平和だと 信じていたのですね。

 

 

ふしぎです。

 

 

なんででしょうか?

 

幼いころの記憶で、、、

母を挟んで

妹と私が寝ています。

母は3歳ぐらいの妹に授乳しながら

うとうとしていました。

反対わきにいる私は

母に背を向けられたまま。。。

呼んでも振り向いてもらえません。

 

その時の 寂しい記憶。

今思い出しました。

あの時 たぶん私は4歳くらい。

 

あの頃から

私はとても心配症になり、

不安になるとはいつも吐き、

そして母の顔色を窺って

私にも振り向いてほしいと願いっていたように

思います。

その気持ちを埋めるように

父と出かけ、

父にばかり愛情を求め

ファザコン街道まっしぐらに

なったのかな、って思います。

 

母にも父にも

悪いことをされた記憶はありません。

むしろ

沢山 家族愛をもらっていたと

思うのです。

 

ただ、私はそれでは 足りないと

感じていたのかもしれません。

 

 

愛が足りない

勝手に感じていました。

 

貪欲だったのですね。

 

 

どういう事でしょう。

 

 

私の愛情の受け皿が

めちゃくちゃ 深く広く大きかったのでしょうか?

 

 

 

う~~ん。

 

 

 

今日も 思いつくまま、

キーボードをたたいた花でした。

 

 

誤字脱字はご勘弁ください。

 

それでは、またあした。